就職活動ナビの近道

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企業は「社会の公器」であるとの自覚を持ち、積極的に社会の発展に貢献していくことで、社会から尊敬され、ブランド価値が向上し、揺るぎのない強固な顧客基盤を得ることができる。
さらに、企業の「社会の公器」としての性格が強なれば、多様な人材に良質な雇用機会を提供し、従業員に働きやすい環境を提供することが、社会的責任として強問われるようになる。
それは正に「ワーク・フェア」理念に則った経営が要請されることを意味しているが、重要なのは、それが人口減少時代の本格的到来でますます重要になる「人材獲得競争力」の向上につながり、優秀な人材が集まることで企業競争力を高めていくという効果が期待できることなのである。
「ワーク・フェア」理念に則った経営それは「社会の公器」となった二一世紀型企業に求められる社会的責務であると同時に、否、それ以上に企業価値を高めて社会から尊敬されることで長期的な発展を遂げていくための、不可欠な経営哲学の基本コンセプトとして位置付けられるべきものといえよう。
あとがき筆者は過去一〇年近の間、ちょうどわが国の労働市場の激変の時代を、民間シンクタンクの一研究員の立場から観察し経験してきた。
振返れば、エコノミストという「本業」の視点に基づいて、当初は、雇用システムを含めた戦後日本型の諸々の経済システムが、閉鎖的で柔軟性に欠き、市場メカニズムを封殺している点に日本経済の危機の原因があり、それが雇用情勢の急激な悪化をもたらしているものだと考えていた。
しかし、その後、関連文献を読み漁り、様々な方々の教えを吸収させていただきながら、そして自らも労働の現場で体験してきたことを通じ、雇用問題のもつ本質的なディレンマの存在に気付ようになった。
それは、雇用とは市場原理を旨とする産業・企業の派生需要であるとともに、生身の人間が生活していくための最も基礎的な条件であるという「二面性」にはかならない。
雇用問題を巡る様々な葛藤は、基本的にはこの二面性に発するものである。
そしてそれは、規制改革、社会保障制度、地方分権等々、現代の国内政治経済問題を巡る多くの対立の構図の底流にある。
「効率」対「公平」、「成長」対「福祉」といった二項対立の背景には、経済合理性を優先するか、いまここで生きる人々の生活の安定を優先するかという、二律背反の問題が存在するからである。
そうした認識から、筆者の問題意識は、これらのディレンマを発展的に解消していく方策を見つけることに移っていった。
一九九〇年代以降、我々が置かれている環境が様々な面で激しオープンなものへと転換していくことの必要性を否定することはできない。
その一方で、急激な改革は様々な摩擦を生み、社会を不安定化させるリスクがある。
エコノミストの観点から、経済システム改革が不可避であるとの認識から出発すれば、雇用システムをその中心に据えつつ、社会保障・教育制度のほか家族のあり方を含む「社会システム」全般を、それに応じて変えていくことにしか解決がないのではないか、というのが論理的な帰結であった。
そうしたなか、たまたま知ることになったコンセプトが、本書のメイン・テーマとなった「ワークフェア」である。
正直にいえば、この言葉を知るまでは、北欧諸国はとんでもない時代遅れの福祉国家だと考えていたし、イギリスの「第三の道」もアブハチ採らずの折衷案であるとの印象を持っていた。
しかし、「ワークフェア」というキーワードに照らして、これらの国々の経験を検討してみると、もちろん完壁とはいえないものの、現在わが国が直面するディレンマを解消するヒントがあるように思えたのである。
以上が、筆者が本書の論考を進めていくに際してのモチベーションであったが、「ワークフェア」を「ワーク・フェア」としてリフレーズし、それをオリジナルから大きく換骨奪胎したことには様々な批判があり得る。
しょせん、福祉国家論や政治哲学に関しては素人の、思いつきの浅い議論であるかもしれない。
しかし、筆者の考えは、いままさに衰退か再生かの歴史的岐路に立たされているわが国の経済社会が、今後望ましい方向に進んでいくためには、従来のフレームのもとで区分された専門領域を超えて、様々な議論が巻き起こることが必要であるというものである。
異なる考え・利害を持つ人々が、それぞれの立場を超えて共通の原理を見出そうと対話することから、建設的なわが国の将来ビジョンが形成されていくのではなかろうか。
そうした点では、いわゆる「格差問題」に関連して様々な議論が巻き起こっているが、多くがそれぞれの立場から発想し、「効率」対「公平」や「成長」対「福祉」といった二項対立の図式にとどまっているとの印象がある。
これまでに打ち出されてきた政策についても、必ずしも互いに整合性のあるわけではない施策をパッチワーク的に並べた感がぬぐえない。
いま必要なのは、基本原理にまで遡って、新しい日本社会のビジョンを構想することであり、互いに矛盾のない各分野の政策をトータルに体系的に提示することである。
そして、そのための基本コンセプトとなるのが「ワーク・フェア」ではないか、というのが本書を通じて筆者がいいたかったことである。
どこまでできているかは読者の判断に委ねるしかないが、少なくともあとがきそうした問題提起を思い切って行うことが、筆者のような民間シンクタンクの研究員が取り級むべき役割の一つと考えて、自らの浅学の恥を忍びつつ本書を書き進んできた。
各社間で取り合いになるような人材は踊らされていない。
就職人気企業ランキングで上位に入り続けているような企業の一部の採用活動も、やはり踊らされてはいない。
くれぐれも言うが、本書は、「就活」やその登場人物を誹膀中傷し、否定するものでは決してない。
就活に関わる赤裸々な事実と向き合いつつ、その問題の本質が、主役が不在であり、皆が踊らされている悲しい茶番劇であるということを訴えかけたかったのである。
最後にもう一度、青臭いことを言わせていただく。
「就活」とは、企業と社会の未来をつくる行為である。
なにより、学生個々人が未来に向けて大きな一歩を踏み出す行為である。
その就活か、単なる茶番に成り下がっていて、そこで皆が悩み、苦しんでいるというのは悲しい事態なのではないだろうか。
体系的で、具体的な解決策は本書ではあえて提示していない。
ただ一つ言えるのは、この誰も幸せにしない茶番について、「やっぱりおかしい」と問題提起する必要があるということだ。
本書をキッカケに、茶番劇で踊らされる登場人物が少しでも減り、就活が企業と社会の明るい未来をつくる行為に近づくとしたならば、これほど嬉しいことはない。
学生や大学、企業や就職情報会社の関係者の皆様には、この本を読んでどんどん「ムカついて」もらいたい。
就活のあり方について、議論のキッカケになればいいなと思っている。
最後に、現在の就活、採活を変えるべく、皆で叫ぼう。

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